練る子は育つ

都内のIT企業で働く28歳女性。読書、音楽、ゲームの記録

"愛にとって、過去とはなんだろう"/平野啓一郎「ある男」感想

平野さんの作品を読んだのは「マチネの終わりに」 以来2度目。共通して感じたのは、粛々とした文体と哲学的なテーマで重厚感がありつつも、ストーリーはキャッチーでわかりやすく読みやすいなーと。「ある男」、面白かったです。

本屋大賞2019ノミネート作品。

 

ある男

ある男

 

 

あらすじ

「愛したはずの夫は、まったくの別人であった。」
宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。ある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる……。


夫であった「谷口大佑」は、「谷口大佑」ではなかった。では、何者か?というひとつの謎を軸に展開される、ミステリアスな物語。里枝に調査を依頼され、弁護士の城戸がこの謎を追いかける。

 

ネタバレあり感想

  • 「谷口大佑」は結局何者だったのか

まず結論。
里枝の旦那である「谷口大佑」の正体は、"戸籍交換"によって名前を変えた、「原誠」という男。フタを開けてみれば単純な話…だが、「原誠」は一度目の戸籍交換で「曽根崎義彦」に変え、二度目の交換で「谷口大佑」になるという"複数の戸籍交換"を行っていたがゆえ、その足取りを掴むのに時間を要した、という感じ。ややこしくて、途中で誰が誰だか混乱しました。

 

  • 「愛にとって、過去とはなんだろう?」

公式サイトにもあるとおり、この作品の"問い"はこれだと思った。本編を通してあらゆる角度から問いかけてきます。

出会った時には「谷口大佑」だった男と恋愛の末、結婚した里枝。「谷口大佑(原誠)」が語った彼の過去は、「谷口大佑」のもの。それを信じた里枝の愛は、果たして誰への愛なのか…。

弁護士・城戸自身が過去との折り合いに悩む場面も。彼は「在日3世」であり、自身の生い立ちによってぶつけられるヘイトに憤りを感じている。それゆえ、谷口大佑を追う中で「過去を変えて生きること」に対して強烈な憧れを抱き、馴染みのないバーで自分の過去を偽って語るなど、自我の認識に揺れ動く。

里枝も城戸も、 谷口大佑の正体を追うにつれ、「自分が誰を愛していたのか/一体自分は誰なのか」=「アイデンティティと真っ向から対峙せざるを得なくなるのだが、そこにひとつの"答え"のようなものを提示してくれるのが里枝の息子・悠人と、谷口大佑の元恋人・美涼であった。

 

  • 自分とは、愛とは

悠人は里枝の最初の旦那との子どもであるため、谷口大佑(原誠)とは血がつながっていない。「血のつながりのない谷口大佑(原誠)を、"父親として"慕っていたのに、その人さえも偽りだった」とショックを受け、自分の出生に対して混乱する悠人。

それでも、時間をかけて「お父さんが、どうして僕にあんなにやさしかったのか、……わかった。」「お父さん、……自分が父親にしてほしかったことを僕にしてたんだと思う。……」と現実を受け入れる姿はあまりに素直で、心に響く。そんな彼の成長を見て、里枝は

「思い出と、そこから続くものだけで、残りの人生はもう十分なのではないか、と感じるほどに、自分にとっても、あの三年九ヶ月は幸福だったのだ」

と受け止めることができるのだ。

「谷口大佑」の元恋人であった美涼は、「僕たちはその人の何を愛してるのか」「過去を含めて愛していたはずなのに、それが嘘だと知ったら一体何を」と問う城戸に、こう答える。

「わかったってところから、また愛し直すんじゃないですか?一回、愛したら終わりじゃなくて、長い時間の間に、何度も愛し直すでしょう?色んなことが起きるから。」

私はここが、「愛にとって、過去とはなんだろう?」 に対する作者によるひとつの答えなんじゃないかな、と思った。愛は変化するし、変化するからこそ、持続できる、と。
ちなみに城戸は妻子を持ちながら美涼に心を惹かれていくのだが…、何事もなくてよかった。さすがに途中の美涼への恋心みたいなもの、ちょっと…アレだったので。

 

純文学的/哲学的で、考えさせられることの多い作品だった。読みごたえたっぷり。でもやっぱり、子どもたちがどうにも不憫だったなあ…。悠人が「文学」によって救われる、というのも一つの解としてはアリだと思うけど…。