練る子は育つ

都内のIT企業で働く28歳女性。読書、音楽、ゲームの記録

宮下奈都「よろこびの歌」感想

宮下奈都さんの作品は「羊と鋼の森」「スコーレNo.4」などを読んでおり、文体も心情描写も「やさしい」雰囲気の作者さんだなと思っていた。今回読んだ「よろこびの歌」は、やさしさや温かさはもちろんのこと、過去に自分も経験したような「表現しにくい心の痛み」が丁寧に丁寧に描写され、「痛みへの共感」と、「それを乗り越えていく作中の女子高生たちの眩しさ」に思わず涙してしまった。心に残る、よい小説だった。
 
よろこびの歌 (実業之日本社文庫)

よろこびの歌 (実業之日本社文庫)

 

 

ざっくり

この作品は6人の女子高生の視点で代わる代わる語られる、連作短編集である。とはいえ主人公は実質、著名なバイオリニスト御木元響の娘・御木元玲だ。唯一、彼女視点の話は最初と最後に2回出てくる。また、全編通して、彼女の「歌」をキーとしてクラスメイトたちが成長していくさまが描かれている。
 

「諦め」で揺れる女子高生たち 

この小説に登場する女子高生たちは、みんなどこか「諦め」ている。
たとえば御木元玲。声楽を専攻し音楽の道を歩むため高校受験をするも、まさかの失敗。悔しがって泣いたり喚いたりするわけでもなく、人生に対して投げやりになるさまが思春期の女子らしく、私はリアルに感じた。このような、彼女の「絶望」的な気持ちが「諦め」でごまかされていく様子からこの物語は始まる。
彼女が「適当に」受けて受かった明泉高校が今作の舞台だ。クラスメイトたちが楽しそうに話している様子を、自分には関係ないと言わんばかりに客観的に見つめる。印象的なのが以下のセリフ。
「この子達もきっと、何も考えずにここを選んだんだろう」
彼女はこの時点ではまだ、みんなも自分と一緒で、どうせやりたいことなんてないのだろう、と決めつけている。
別視点の主人公、うどん家の娘・原千夏は、御木元玲の母であり著名なバイオリニストである御木元響に憧れていた。いつか自分も音楽がやりたいと、クリスマスプレゼントで「ピアノ」をサンタクロースにねだるも、届いたのは2オクターブしかない”おもちゃのピアノ”。裕福とはいえない自分の家で、グランドピアノを弾く夢は叶わない。彼女もまた、静かに現実を受け入れ諦めていく。
”諦めざるを得ない”という意味では、中溝早希が一番絶望的だろう。彼女のパートはこんな一文で始まる。
十六にして余生だ。
彼女は中学時代、ソフトボール部のエースで4番を務めていた。しかし、大会で肩を酷使した結果、競技ができないほどに体を壊してしまう。玲のように「自身の才能のなさ」に憂いているわけではなく、もう「プレイできない」のだ。早紀はそんな自分の現状を「余生」と表現する。高校生にして余生。彼女の人生への絶望感の深さが重たい。
 

他者の成長への不安と焦り、怒り 

この物語は、声楽に励んてきた御木元玲を軸として進むため、必然的に「歌」がテーマとなっている。彼女たちの転機となるのは、玲が指揮者となる「合唱コンクール」、そして「マラソン大会」だ。
 
合唱コンクールは、結論からいうと散々な結果だった。玲の声楽のスキルを活かして歌のレッスンを進めるも、そううまくは揃わない。そもそも高校生の合唱コンクールって、みんなまじめに歌わない。照れとか、自信のなさとか、めんどくささとか、いろいろな感情がぐちゃぐちゃになるから。玲の必死な指導はクラスメイトに伝わるも、素直に応えられないのが高校生らしい。
そんな彼女たちの関係に「変化」が起こったのがマラソン大会だ。いちばん最後を走る玲を励ますように、ゴール地点にいる原千夏を筆頭に、クラスメイトたちが合唱曲「麗しのマドンナ」を歌う。玲が一生懸命にコンクールに向き合っていたからこその、クラスメイトの答えなのだろう。コンクールではうまくいかなかった「麗しのマドンナ」が、こんなにいきいきとして聞こえるなんて…と玲はあらためて歌のパワーを実感し、そもそも自分はいったいなんのために歌っていたのか・歌いたかったのか、自分自身と向き合い始める。
ここで対象的に描かれるのが早希だ。少しずつ自分の殻を破り始める玲をみて、形容しがたい「怒り」に包まれる早希。それは玲に「置いていかれる」ことに対しての焦りと不安であることに本人は気づいていない。自身も今のままではいけないと思っているけれど、いったいどうしたらいいかわからない状態で足踏みしているうちに、玲は答えを見つけていく…。
自分が「諦めて」いるときに、周りの人が困難を乗り越えようと奮闘しているのを見ると、そして少しでも前に進んでいると感じると、羨ましさと焦りとでなぜか「怒り」が発生することがある。他者への羨望と嫉妬と、自分への落胆と、この感情の揺れには大いに共感してしまい、私の心もキュッと痛くなった…。
 

自分の視点と他者からの視点

作中の彼女たちは、他者と自分を比較することで、自信や誇りを失っていく。だが、それは「逆もしかり」。自分にとってはなんでもないことや、むしろコンプレックスであることが、他者からすれば魅力的に映ることだってあるのだ。本人がそれに気づいていないだけで。
 
たとえば原千夏は、御木元玲の才能に対して絶対的な憧れを抱いており、自分には得意なことなんて何もないと思い込んでいる。一方で、玲は千夏の「いきいきとした歌声」を聴いて、自分は彼女のようには歌えないと言う。互いに、相手の持っているものが眩しく見えている。
 
私が思わず涙してしまったのは、最後の早希と玲のシーンだ。玲の姿に刺激を受けて、さまざまな葛藤がありつつもなんとか絶望の淵から立ち上がることができた早希。卒業式で「麗しのマドンナ」を再度歌うことになった彼女たちだが、早希は玲に対して「私は、玲のために歌うよ」と伝えるのである。一度は認められなかった相手を自分で受け入れ、乗り越え、きちんと言葉にすることができた早希の成長には感動してしまった。
 
 
あの人に比べたら自分なんて何にも持ってないとか、死ぬほど頑張ったのに結果が出なかったとか、自分の人生を諦めたくなる瞬間って誰にでもあると思う。作中の女子高生たちもそうやって悩んでいるんだけど、他者と関わることで一つずつ自分を見つけていく過程がとっても眩しかった。
大事なものを失っても、特別なものを持っていなくても、あの人になれなくても。「よく生きる」ことが大切なのだ。
読後にはふっと心があたたかくなり、またいつか読み返したいと思える素敵な小説だった。